【251号】エンディングを意識することで今が輝く

とっとーと通信 テキスト

「一日一生」とは。今日一日を悔いのないよう、人生最後の日だと思って生きる。その連続が充実した一生につながる」という意味。実にこの実践は難しい。何となくボーっと過ごしてしまう日も少なくない。ではどうすればいいのだろう。

そこで『「これでいい」と心から思える生き方』という本から、「科学と宗教と死」(著者:加賀乙彦氏)の一節をご紹介する。

ここに2つのグループがある。一つは死刑にされることが決まっていて拘置所に入っている死刑囚のグループ。つまり死刑執行日がいつなのかは分からないけど、とにかく死刑が決まっている人たち。もう一つは終身刑によって一生を刑務所で過ごすことが決まっている無期囚のグループ。つまり死刑になることはないが、ずっと刑務所に監禁されることが決まっている人たち。この2つのグループを比較調査した結果が書いてあった。

調査によると、前者の死刑囚は、活発で動きが多く、冗談を言ったり、歌ったり、笑ったりと、心の躍動感が大きかった。一方、後者の無期囚は、イキイキとした感じはなく、ぼんやりとした鈍感な感じで、心の躍動感が小さかった。そんな傾向があったようだ。

さて死刑囚への死刑執行は、いつ本人に伝えられるかご存知だろうか。当日の朝、突然言い渡される。想像してみて欲しい。本を読んでいても、手紙を書いていても、部屋を掃除していても、突然看守が現れ、すべて途中で止められる。そして有無を言わさず両脇をかかえ連れていかれ、即死刑執行される。心の準備なんて出来ない。

なんと恐ろしいか。死刑囚がもっとも恐れる時間帯は、平日の朝だとネットに書いてあった。だから死刑囚は毎日「明日、死ぬかもしれない」と思って一生懸命に生きているわけだ。

一方、無期囚の方は、死刑にされる心配はない。最初は変化のない退屈な毎日に苦痛を感じるそうだが、やがてそれに慣れてしまう。つまり感情を麻痺させ、感情の動きを小さくさせることで、退屈を退屈だと思わなくなるそうだ。

そこで著者の加賀さんは次のように述べている。

「私たちはいずれ誰もが死ぬ。確実に死を宣告されています。それは今日かもしれない。明日かもしれない。そういう意味では死刑確定者と同じです。(中略)けれども、そのことを死刑囚ほど常にはっきりとせっぱつまって感じている人はあまり多くないでしょう。いつかは自分も死ぬ、けれどもまだそれは少し先のことだと感じている人が多いでしょう。そう考えれば人間は無期囚に似ているのかもしれません」

私はこれを読んでドキッとした。もし私も死刑囚で監禁中だったら、きっと一日を悔いの無いように生きるだろうな。と思った。しかしよく考えたら私も死刑囚と同じなのだ。堀の外か中かにいるかの違いだけで、いつ死ぬか分からないという事実は、何も変わらない。それなのに自分が死ぬことがリアルに想像出来ない。いや大病にかかる、もしくは戦争にでも行かない限り、一生分からないだろう。普段から死に触れる機会がほとんど無いので、仕方のないことなのかもしれない。

では今出来ることは何か。仕事にしろ、遊びにしろ、家族と過ごす時間にしろ、目の前の事に集中して、今この瞬間をもっと楽しもうと思った次第である。

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